本来南土 上泝蜀都
本は南土より来たりて 上は蜀都へ泝る
先獲黄帝九鼎之丹書 後侍老君両度於玉局
先に黄帝九鼎の丹書を獲て 後に老君両度の玉局に侍る
千軸得修真之要 一時成吐納之功
千軸に修真の要を得て 一時に吐納の功を成す
法籙全成 受盟威品而結璘訣
法籙全成し 盟威の品・結璘の訣を受く
正邪両弁 奪福庭治而化鹹泉
正邪両弁し 福庭の治・化鹹の泉を奪う
徳就大丹 道斉七政
徳、大丹を就し 道、七政を斉う
大悲大願 大聖大慈
三天扶教輔玄体道大法天師
雷霆都省 泰玄上相 都天大法主
正一沖玄神化静応顕祐真君
六合無窮高明大帝 降魔護道天尊
本来南土
祖天師張道陵の元の名は陵、字は輔漢、沛豊邑(今の中国江蘇省豊県)の人であり、古代は南方に属していた。
上泝蜀都
「泝」は河をさかのぼること。「蜀」は今の中国四川省にあたる。中国の主要河川は西から東へ流れるので、さかのぼるとは東から西へ移動したということである。祖天師はもともと東南へ下って遊ぶ江蘇の人であったが、後に西南の四川へ上って遊び、道を修め道教教団を創設した。
先獲黄帝九鼎之丹書
祖天師が道を学んでいた時に最初に得た煉丹の経典が『黄帝九鼎神丹経』であった。
後侍老君両度於玉局
漢安元年(142)、太上老君は祖天師に道法を伝えて「都功」の秘籙・剣・「陽平治都功」の印を授け、「邪を攝り正に帰し、人鬼を分別せよ。」と命じた。永寿元年(155)、祖天師が道を修めた時、太上老君は地面から現れた玉の椅子(玉局)に座り、「正一盟威」の秘籙を授けて『北斗経』を説いた。祖天師は二度(三度という説がある)太上老君に師事して道の教えを受けた。
千軸得修真之要
『太真科』に、太上老君が祖天師に「正一盟威の経九百三十巻・符図七十巻、合わせて一千巻」を授けたとある。祖天師はこれにより道を修めるための要諦を得た。
一時成吐納之功
『太上説南斗六司延寿度人妙経(南斗経)』の序に、太上老君が清和玉女を遣わして祖天師に清和の炁の呼吸法を教えたとある。祖天師は玉女のもとで修練して呼吸法の修得に成功した。
法籙全成
祖天師は法籙を人間の環境・条件に合わせ、選び取って用い、人間が用いるための道法・道術・法籙を成就した。
受盟威品而結璘訣
初期の法籙は「都功」「盟威」の二段階であり、祖天師が授かった最終的な法職は「正一盟威」であった。「結璘」は月を指し、「鬱儀」は太陽を指す。『南斗経』序に、太上老君が天師に法籙を授けた後、さらに「日月高奔鬱儀結璘朝拝の真訣(日月に礼拝する修練法)」を授けた、とある。
正邪両弁
祖天師は太上老君の「邪を攝り正に帰し、人鬼を分別せよ。」との命に従い、妖魔を駆除し神霊界と盟誓を結び、「人は陽明に処り、鬼は幽暗に行く」ようにさせた。これにより人と神霊界は区分されて各々が干渉しなくなった。
奪福庭治而化鹹泉
太上老君は当初、教団の教区を二十四節季に対応させて二十四治に分けたが、妖魔に占領され鬼獄となってしまった。祖天師は太上老君の命を受けて後、六天魔王と八部鬼帥との戦いによって二十四治を奪還し、新たに二十四の「福庭」として回復させた。古代中国の内陸部で塩を得ることは困難を極めた。祖天師は塩の泉(鹹泉)に住み着いていた毒竜を打ち負かし、民衆が泉の水を沸かして塩を得られるようにした。唐の『元和郡県図志』に、益州最大の塩井「陵井」は天師が開いたので、その功績を記念して天師の名を付けたとある。
徳就大丹
祖天師の功徳は円満し、金丹を煉ることができるようになった。
道斉七政
「七政」には多くの意味があるが、ここでは二つの意味を含んでいる。一つは北斗七星であり、祖天師が伝えた北斗七星を祀る科儀の道法と、祖天師の首にある七個のあざを比喩している。もう一つは、四季・天文・地理・人倫に関する学問であり、祖天師の道法が天道に則っており、学問と同様に世の中で用いられていることを指す。
大悲大願 大聖大慈
祖天師の民衆救済の願いと慈しみの心を称賛している。
三天扶教輔玄体道大法天師
「三天」には複数の意味があり、主に祖天師が三界(天・人・鬼)の秩序を掌り、祖天師の道法が三清天(清微・禹余・大赤)に由来することを示す。「扶教」とは「三天正法」の教えを支えるという意味である。祖天師は唐の僖宗中和四年(884)、「三天扶教大法師」に封じられ、宋の神宗煕寧年間(1068-1077)、「三天扶教輔元(玄)大法師」に封じられた。
雷霆都省
雷霆都省は雷祖三省の一つである。宋代の道教経典『無上九霄玉清大梵紫微玄都雷霆玉経』に、祖天師が雷霆都省を掌っていると記されている。祖天師が雷法を掌っていることを示しているため「雷候」とも呼ばれる。
泰玄上相
『清微仙譜』「正一淵源」に、祖天師が天に昇った後、「泰(太)玄省を治む」とあり、また「三天聖師 泰玄上相 正一真君」の尊称が記されている。泰玄省は「斎醮(儀礼)」に関することを掌る。現代の道教で実務上主要な「斎」は葬礼である。「醮」は主に神への祈願をいう。斎・醮を執り行う道士は必ず祖天師に申し立てる必要がある。
都天大法主
『上清骨髄霊文鬼律』は「都天大法主」を道教の一派である天心派(天心正法)における北極駆邪院行法官の法職・位階の一つとする。早期の天心派には二段階の位があり、都天大法主を最高の位とする。史実によると天心派は北宋の饒洞天(生没年不詳)を開祖とする。しかし、祖天師と天心派には繋がりがある。『上清北極天心正法』に、太上老君が祖天師に天心の法を授けたとあり、『北陰鄷都太玄制魔黒律霊書』に、かつて祖天師が北極駆邪院を掌っていたとある。『天皇至道太清玉冊』に、「天心乃ち万法の祖、都功・盟威総じて二十四品、先ず進みて受くべし。」とある。したがって、祖天師宝誥の「都天大法主」は、かつて祖天師が天心の法を習得して最高の法職を得たことを示す。
正一沖玄神化静応顕祐真君
祖天師は元の成宗元貞元年(1295)、「正一沖玄神化静応顕祐真君」に封じられた。かつて「張静応」という略称も用いられていた。
六合無窮高明大帝 降魔護道天尊
祖天師の道教内部における比較的正確な封号は「三天扶教輔玄体道大法天師 正一沖玄神化静応顕祐真君 六合無窮高明大帝 降魔護道天尊」である。