四十一代天師の諱は正言、字は仲詢、号は東華、張嗣徳の長男である。古風な神々しい容貌で、物静かで言葉少ない人となりであった。泰定二年(1325)に生まれた。
元の恵宗至正十二年(1352)に教団を継いだ。当時、紅巾軍が蜂起して韓林兒が反乱を起こし、世は乱れて街道は寸断されたため、帝から召されなかった。至正十三年(1353)、都への道が閉ざされた中で密使が派遣されて「正一教主明誠凝道弘文広教大真人」の封号を授かり、三山の符籙と江南の道教を掌るよう命じられ、第四代から第三十四代の天師に封号が加えられて真君とされた。
至正十九年(1359)の中元の日、座に上がって道を説いた。言葉には警句が含まれ、はっきりと理解できた。程無くして軽い病にかかり、弟子たちを呼び、「私が教団を継いで以来、色々と多難であったが、今逝くべき時だ!」と言い、二日後に頌を書いて羽化した。亡骸を排衙石に埋葬した。三十五歳の時であり、八年に渡る在位であった。従兄弟の張正常が教団を継いで四十二代天師となった。