正一嗣漢張天師府正一嗣漢張天師府

34.張慶先

三十四代天師の諱は慶先、字は紹祖、三十三代天師の子である。生まれる前、三十三代天師は末の弟である張嗣先に仮の形で教団を十一年に渡って継がせていた。張慶先は天性もの静かで、飾り気が無く、口数が少ない人となりであったため、周りの人々と区別が付かず、教団の中で目立たなかった。暫くすると名声が方々に広がり、大いに霊験を示したので道俗が崇敬して従ったものの、張嗣先が自分こそ正統な跡継ぎであると主張したので裁判沙汰となった。こうして、寧宗皇帝の嘉泰元年の五月、張慶先が正式に天師の位を継いだ。三元日の授籙の時に香火を捧げる人々が多く集まり、経籙がますます世に広く伝わった。

常に清廉を保って質素に暮らし、慈愛と仁の心で人々に接した。困窮した者に会うと大いに思いやりの態度を示し、施しをして救った。それといった特別な好みは無く、ただ酒を好んで飲んでいたが、酔って面倒事を起こさず、数斗飲んでも酔わなかった。

龍虎山の張公洞に遊び、非常に深い井戸があったので戯れに木の葉を投げ入れたところ、たちまち井戸の水が波立ち湧き上がり、老人が井戸の中から出て来て天師に拝礼した。天師は老人に、「水を枯らしてはならぬ。」と戒めて去った。

寧宗皇帝の嘉定二年(1209)の下元の日に授籙の儀式を執り行ったが、その七日後の十月二十二日、厚絹の袍に幅巾を着けた者がやって来た。神々しい威風を放ち、道士のようにも見えたが、どこから来たのか分からなかった。天師は彼を一目見るなり、酒樽を開いて椅子から下りて普段と同様に歓談した。別れ際、道士はしばらく何かを耳打ちした後に去っていった。天師は、「彼と大切な約束をした。」と言い、以後、香を焚いて穀類を絶ち、世俗との交わりを絶つようになった。家族は羽化の時が迫っていると予感して法訣を伝えるよう求めたが一切応じなかった。七日後の十月二十九日の明け方に起きて、普段と同様に髪を整え、落ち着いてゆったりと座って羽化した。九年に渡る在位であった。