正一嗣漢張天師府正一嗣漢張天師府

24.張正随

二十四代天師の諱は正随、字は宝神、二十三代天師の長男である。質朴な人となりで、俗人と交流せず、道で出会った時は走って逃げて避けた。毎年の法会の寄付を貧民の救済に当て、家が貧しくても一切顧みなかった。

真宗皇帝が夢の中で神人から三巻の天書を降されたので、戌申の年(1008)に臣下を召してその旨を伝え、年号を改めて「大中祥符」とした。この時より天書が度々降されたので、封禅の儀式を執り行った。大中祥符二年(1009)、帝は天下に命じて「天慶観」を建てた。大中祥符六年(1013)、帝は老子に号を加えて「太上老君混元上徳皇帝」とした。大中祥符七年(1014)、帝は玉皇大帝の聖号を「太上開天執符御暦含真体道玉皇大天帝」とした。大中祥符八年(1015)、帝は天師を召し、都の上清宮に道壇を置き、籙を授けて道を伝えるよう命じた。また、号を賜い「真静先生」とした。吏部尚書の王欽若が、天師のために授籙院を建てるよう奏上したことにより、龍虎山の伝籙壇真仙観を改めて「上清観」とする勅命が出され、田租が免除された。

八十七歳で羽化した。これ以後、宋代の天師の多くは「先生」の嗣号を賜った。これが正一道で天師に封号を付す伝統の由来である。