二十代天師の諱は諶、字は子堅、十九代天師の長男である。博学で儒学に精通し、草書・隷書を学んだ。晩年に道を好み、穀物を避け、天の語を人々に伝えた。
懿宗皇帝は咸通年間、天師に金籙大醮の建立を命じ、金の絹織物を賜い、龍虎山に帰らせた。
咸通九年(868)、江西大賈の劉遷という者が天師より都功籙を授かり、翌年三月に金陵で病死したが、心臓は微かに暖かく、二日後に生き返った。彼の話によると、死後、冥界の役人に捕らえられて連行される道すがら仙界の役人に会い、「劉遷は正一籙を佩びており、彼の名は天界の籍にあり冥界の管轄に属さない。この功徳により寿命を三十年延ばすべきである。」と告げられたという。以後、粗末な衣を着て道を修め、龍虎山に入って天師に師事した。
咸通十二年(871)、茅山の道門に属する鄧啓霞に都功・正一法籙を授けた。
ある日、大いに酔い、八月十五日、白昼の内に天へ飛昇した。百余歳の時であった。