十九代天師の諱は脩、字は徳真、張士元の長男である。人となりは素直かつ素朴で、常に質素な衣を好み、飾り立てようとしなかった。妻と共に野を耕し、人々と交わろうとしなかった。毎年、符法によって教えを伝えて病を治し、その時々に応じて霊験があった。病人がやってくると木の葉に符を書いて治療し、病人は立ちどころに癒えた。教団への寄付は全て貧民に施した。寂しい時でも人から慕われることを殊更に求めようとしなかった。
唐の武宗は道を好み、会昌元年(841)に召して伝籙壇の額「真仙観」を賜わった。さらに官位を与えようとしたが、辞退して帰り、応じようとしなかった。
羽化の二年前、自ら墓を建て、「私は二年後にこの世を去る。」と言った。その時が来ると、沐浴して衣を着替え、端坐して羽化した。八十五歳のことであった。