十八代天師の諱は士元、字は仲良、十七代天師の長男である。幼い時から多くの書物を読み、四十歳以後から道を学び始めた。夜に静座することを学び、しばらくすると肘を上下自在に伸ばし、飛ぶように家から出入りした。痩せて髯が多かった。応天山に四十年に渡って住んでいたが、虎・豹・蛇・マムシが多いことから、人々は会いに行こうとしなかった。三元日にのみ山を下りて籙を伝授した。風雨が大きくなると、玄冠・白衣姿の天師が虎を駆り龍に乗って峰々を往来するのが見え、風雨はこれによるものと分かった。符の法によって人の病を治すことを伝え、モモやスモモの木を植えることを好み、季節になると開花して実った。
文宗皇帝の大和元年(827)、天師は茅山の道門に属する十八歳の応夷節に三品大都功を授けた。
時に帝は天師の評判を聞き、しばしば高い官位を約束して召そうとしたが、辞退して赴かなかった。九十二歳の時に自宅で羽化した。今、山の南に練丹の舎があり、山の北にある繙経石・黒龍井・碧蓮池は、全て天師の遺跡である。