十七代天師の諱は頤、字は中孚、初めの字は仲孚、十六代天師の長男である。孝行者で、母が病気になると一月以上に渡って熱心に面倒を見た。よく周囲に、「不孝者が道を学んで仙人になろうとするのは、舵の無い船で大川を渡るようなもので、今まで成し遂げた者など無い!」と言っていた。
貴渓県の貴水の尉に任命されたが、後に辞職して教団を継ぎ、妻子を連れて茅の家を山中に建てて暮らした。八十七歳の時、容貌は若々しく歯は白いままで病気になることも無く羽化した。
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