十六代天師の諱は応韶、字は治鳳、十五代天師の長男である。経典を広く学び、教団を継いでから程無くして息子に印・剣を授けて跡を継がせ、龍虎山の南にある龍鬚井に隠居し、妻子と共に自ら耕して楽しく暮らした。積極的に道を修め、穀類を避けて百日に渡って食事をしないこともあった。
鉄笛を吹くのが上手く、よく石に寄りかかって井戸の上で吹き、音色が数里の先まで聞こえた。ある日、笛を井戸の上に掛けて端座して動くことなく、目を閉じて羽化した。九十九歳の時であった。井戸の傍らに葬った。今、天師の墓に加えて竈の構えと樹木の門が残っている。耕していた地は「黄沙坑」と呼ばれた。
言い伝えによると、天師の剣は時に眩い光を発し、合間に呻き吠え、現れては消え、大いに霊験を表したという。病に苦しむ者がいると剣を貸してあげ、供養させると病はたちまち癒えた。天師は慈愛の心を人に施すことを好み、他者の苦しみを我が事のように悲しみ憂う人となりであったことから神剣の霊験が現れたという。ある日、近所の妊婦が夜に産気付いて命に係わりかねない状況であったたので剣を貸してあげた。妊婦の家に持って行くと神々しい光を発し、まるで明かりが点いたかのように眩しく部屋を照らした後、地面に落ちて折れた。十八代天師の孫である張恵欽の時、仙人が現れて剣を接ぐと元通りに戻った。