十五代天師の諱は高、元の字は士隆、後に唐の玄宗皇帝の李隆基の諱を避けて士龍と字を改めた。十四代天師の長男である。道を学び、祖天師の法を守った。がっしりとした体格で、酒を好み、一気に一石を飲んでも酔わなかった。かつて天師印を長安の酒場に忘れたことがあったが、少年が持ち上げようとしたが動かすこともできず、翌日になると、天師がやって来て笑いながら持って帰った。印文は机に透けて見えたので、人々は皆、不思議な事だと思った。
玄宗皇帝は天宝七年(748)に天師を召し、都に道壇を置いて籙を伝授するよう命じた。金の絹織物を分け賜い、租税を免じた。また、祖天師画像賛を賜い、祖天師に「太師」号を贈った。
粛宗皇帝は天師に香帛を賜い、斎醮を都に建て、祖天師像に親筆の賛を加えた。
徳宗皇帝は貞元年間に金と銀メッキの香炉・香合・緋の羅綃・金の帕、黄色の器物複数を供養として天師に賜った。
九十三歳で羽化した。