十四代天師の諱は慈(慈正)、字は子明、張光の長男である。頭が鋭く、様々な書物を幅広く読み、易に最も精通していた。常に易の道によって人を教化し、彼に従って学ぶ者は百人以上に及んだ。しばらくして妻と別れて山中で道を修め、聖井山に登り、庵を結んで一人で暮らし、真人の法を守り伝えた。朝廷が幾度も召したが応じなかった。聖井山は昔、この故事により別名として「徴君山」、聖井渓は「徴君沆」と呼ばれていた。毎年の三元の日に山を下りて諸階の秘籙を伝授し、四方の人々は彼に帰依した。余ったお金は貧民に施し、集まった物資は天災が起きた時の備蓄として人々の援助に充てた。錬金術にも長けていた。百余歳で山中に羽化し、空中から仙楽の音が鳴り響き彼を迎えたという。