正一嗣漢張天師府正一嗣漢張天師府

12.張恒

十二代天師の諱は恒、字は徳潤、号は中常、張通玄の長男である。生まれつき頭の回転が速くて物事によく通じ、儒学の書を広く学び、経書・史書を一通り読んですぐに暗記した。

唐の高宗は乾封元年(666)に老子を祠り、「太上玄元皇帝」の号を賜った。儀鳳三年の詔令で『道徳経』『孝経』を共に最上の経典と定め、貢人・挙人は皆が精通すべきであるとした。また、使者を派遣して天師を宮廷に召し、治国安民の道を尋ねた。天師は、「無為の道を実践できれば天下は治まるでしょう!」と答え、高宗は賛同して道の実践に励んだ。ある日、天師は密かに宮廷を抜け出して帰って嘆き、「私はもう世俗に落ちたようなものだ!」と言った。

道を家庭で学んで真人の法を守り伝えた。よく分身変化の術を用いて自身の徳を深め、他にも様々な術を用い、幻術を最も得意とした。自らを神仙の中で狡猾な者であるとした。甕を部屋の中に持ち込み、妻と葷菜を食べて飲酒した。夜中に甕の傍らで酔って吐いた物は皆、甕の中に入っており、何日経っても腐敗しなかった。九十八歳で羽化した。