正一嗣漢張天師府正一嗣漢張天師府

10.張子祥

十代天師の諱は子祥、字は麟伯、張符の長男である。様々な書物を幅広く読んで古今の学問を探究した。仕官して北周に仕え、洛陽の尉となったが、程無くして辞職し、教団を継いだ。かつて隋の国を称賛し、「今の隋は乱世の一国に過ぎないが、間もなく天下を平定するであろう。」と言った。妻子と龍虎山で隠遁生活を送った。日頃の生活は質素で、弟子の数は数百人にのぼった。

自ら修養に励み、容姿はますます若くなり、まるで二十歳のようであった。よく腹の中の仙丹を吐き、掌の中に置いて弄んでいた。ある時は夜中に器の中へ投げ入れ、家中を照らした後、また飲み込んだ。

以前、河洛に遊んで嵩山中峰の石室に登り、その地の深い趣を楽しんだ。ある夜に突然、兵隊の一団がやって来る音が聞こえた。二人の神吏が天師に謁見し、「東岳の主が通りすがりに、天師殿に謁見したいと仰っております。」主という者が現れ、「昔、祖天師と青城でお会いしてから四百年余り経ちました。三国争乱以来、天下は乱れて分かれること久しく、生霊は害を受け、罪業は積み重なり、解脱の機会もありません。今、幸いにも重ねて天師殿にお会いすることができました。どうか符籙を広く伝え、人々を教え導いてください。」と言って、お礼を言い去って行った。天師は龍虎山に帰り、弟子を派遣して四方の人々を教化し、それによって功徳を積んだ。しばらくして道を成就した。

百三歳で羽化した。棺を持ち上げると非常に軽かった。埋葬した日の夕方、墓に穴が開いていた。墓の中には衣服だけが残っていた。